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完璧な他者しか他者ではない

 他人が完璧に見える。というと言い過ぎかもしれないが、しばしばそのような感覚に襲われる。
 問題がない他者と問題がある自分、というような自意識がある。もし問題がある他者に出逢えば私はそれを自分に近いものとして内側に入れてしまうから、問題がある他者が減っていくんだろう。生存バイアス、最近よく聞いているような気がするが、まあそんなところなんだろう。対象に問題あり。

 

 私には友達が少ない。既存のコミュニティ、例えば部活動やサークル、あるいは学級などに属するのが苦手なのが理由の一つだろう。出来上がったしきたりのある空間で人間関係を築くのがどうにもだめなのだ。数少ない友人とは、偶然、帰り道が一緒だったとか、説明会で隣だったとか、そういう縁から繋がることが多かった。第一印象から決めてました、が大半である。第一印象でピンとこなかった人とはあまり上手くいかない。友達の友達、などはそこそこ共に行動したりもしたが簡単に切れてしまった。つくづく才能がない。
 私には、もしくは私にも、相手がどういう性格かをパターンで判断しようとする癖がある。同じ人間かそうでないかを見分けようとしている。ここはあまり人間関係において重要ではないが、その判断基準はなんだろうかと考えたときに「自分を大切にすることに抵抗がない人は自分とは別の人間に見える」というある種の法則に気がついた。
 自信があるとかないとかとはまた別の話で、よし、自分を甘やかすぞ、と気合を入れる必要がある人と、普段から自然に自分を守ることができる人との違いに、私は敏感なんだろう。そして後者には「自分とは違う人間だ」と思う。そういう人から好感のようなものを向けられると、理由がよくわからないので「はあ、そうですか」という気分になる。つまり、虚無。あなた、私が見えるんですか。幽霊のようなことを思う。
 こちらが見えていない状態だとよく「おもしろーい」という言葉が出る。こっちは何も面白くない、と思いながら乾いた笑いを喉から出すことになる。他者を娯楽として消費することに迷いがない。自分を大切にできる人は違うなぁと嫌味のようなことを思う。ここまでくると好意というか悪意にしか見えない。私はエンターテイナーではなく、人を笑わせたいなどということは考えたこともないので、これはこれで「はあ、そうですか」という気分になる。おさらいですね、虚無です。完璧な他者のくせになんなんだ、といちゃもんをつけたくなる。私も理解する気がない、相手もそうなんだろう。
 しかし彼らのそういった態度はおそらく処世術に分類されている。全く面白くなくてもとりあえず面白がっておきましょう、という宗派なんだろう。思想、良心の自由。自分とは違う思想の人がそのへんを歩いているのは、当然ですね。こちらはその処世術に文句をつけているので、心の商店街はシャッター通りと化す。白馬の王子様は来ないし、鉄扉を開く理解者も来ない。童話ならとっくに魔女になっていそうだな。映画化して主題歌がやたらめったら流行ってほしい。

 

 ところで数少ない友人達から共通してよく聞く評価に「君のような人は見たことがない」というものがある。どこについてそう言っているのか私にはわからないが、私のような人間はたしかに遭遇率が低いんだろうと予想できる。私のような人間にはたぶん友達が少ないので。バイアスですね、言っておけばいいと思っている。